むねた裕之
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アフリカ放浪記(ナイロビのバー)

20100812

小説「沈まぬ太陽」を読んでいて、「もしかしたら?」ということがありました。

主人公の恩地がケニアのナイロビに飛ばされ、会社にも裏切られたときに、やけになって「絶対にいってはいけない」エリアのバーで酔いつぶれ、家に帰って銃を乱射するシーンがあります。

そのナイロビの「絶対にいってはいけない」エリアに、アフリカ旅行中の私は、住んでいて、その危険なバーに毎日通っていたのではと密かに思っています。

というのは、私のナイロビ滞在中は、ナイロビで最も安宿が多く集まり、
もっとも危険と言われるダウンタウンに住んでいました。

私のアパートの住人は、多くが娼婦か職のない人たちでした。

私の行きつけのバーは、ナイロビ中の泥棒と娼婦が集まるといういわくつきのバー・「グリーンバー」といい、そこの雰囲気と鳥の丸焼きがうまくて、ほぼ毎日いっていました。

そのバーに入ると、まずビール瓶の栓が飛んできます。

まず、地元の人しか来ないので外人が来ると歓迎とひやかしのあいさつかわりです。

ビックリしたのは、そこのジュークボックスに1曲だけ日本の歌が入っていました。

河島英五の「酒と泪と男と女」です。

河島英五自身がそのバーに来て入れていったそうです。

たいした人です。

そのバーで一回みんなと顔見知りになると、ナイロビの夜を歩いていても襲われることはありませんでした。

そういうことを聞きたくて、「沈まぬ太陽」のモデルである小倉さんが川崎に来たとき聞いたことがありました。

私がアフリカ・ケニアにいた85年6・7月は、小説にも出てくる日本航空の御巣鷹山の事故がその前の年にあり、小倉さんは日本にいてその事故の対応に追われていたということでした。

小倉さんがケニアに戻ったのは、私がタイに発った8月でした。

入れ違いでした。

小倉さんが亡くなられ、もうバーのことは確かめるすべはありませんが、映画や本を見るたびに思い出します。