むねた裕之
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しんゆり映画祭の映画上映・中止問題―市が懸念を伝えたこと自体、表現の自由を侵す

12月4日、川崎市議会・12月議会で日本共産党は、石川建二議員が代表質問を行い、「しんゆり映画祭の映画上映中止問題」を取り上げましたので、以下に紹介します。

●質問(石川)

川崎しんゆり映画祭・上映中止問題について、市長に伺います。

経過―市が懸念を伝えたことで主催者側が中止を決定

10月27日に開催した「川崎しんゆり映画祭」で慰安婦問題を扱った映画「主戦場」の上映が予定されながら、いったん中止されました。この映画祭の共催者が川崎市となっており、市は開催費用約1300万円のうち約600万円を負担しています。主催者は、7月下旬に「主戦場」を上映する方針を決め、共催者である川崎市に報告。8月5日、一部の出演者が上映禁止を求める訴訟を起こしていることから、市の担当者が主催者に上映について懸念を伝えたことにより、いったん、上映見送りを決定。しかし、経緯を知った映画関係者から「表現の自由への公権力の介入だ」などの批判が相次ぎ、主催者は一転して、最終日の11月4日に上映したという問題です。

「裁判になっている」という理由

 上映を中止した理由についてです。市から主催者に「裁判になっているようなものを上映するのはどうか」という懸念が伝えられたことが、中止判断の一つになったということです。しかし、これを理由に中止をすれば、裁判をすれば公の場で表現活動、上映ができないことになってしまうなど萎縮効果、表現の自由を侵害することにつながります。裁判になっていることを中止理由にすべきではありません。川崎市は、こうした懸念を伝えるのではなく、懸念や不安があれば、共催者としてそれを払しょくする立場に立つべきです。

市が懸念を伝えた行為自体が主催者側への圧力に

 「市が懸念を伝えた」という行為自体が中止理由になっています。市長は「この市の対応は適切だった」と述べています。しかし、「予算を負担する市の懸念は圧力だ」という声や「行政が懸念を伝えること自体問題。目に見えない形で事前検閲が行われたに等しい」という批判が上がっています。川崎市当局からの懸念について、主催者側は「市からの懸念はメールや文書などの証拠が残らない形で」「しかし、かなりの強さをもって」伝えられたと話しています。また「予算のおよそ半分を負担している川崎市との関係悪化は映画祭の存続にかかわる」という認識を持ったということです。このように予算を負担している市からの懸念は、予算にかかわる圧力となっています。だからこそ、市から懸念を伝えること自体が、「圧力になった」「検閲だ」などの批判が上がっているのです。

懸念を伝える行為自体、表現に自由と検閲の禁止を侵す

市長は「表現の自由とは全く関係のない話だ」と述べています。しかし、憲法21条は「一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない」としており、表現の自由と検閲の禁止は一体のものです。市が懸念を伝えるという行為が主催者側にとって予算にかかわる圧力と認識されれば、この行為は表現の自由、検閲の禁止を侵すことにつながり、許されません。懸念を伝えることが、主催者に対する制限や圧力につながるという認識はなかったのか、伺います。

◎答弁(市長)

映画「主戦場」につきましては、主催者から担当部署に、「今年度の上映作品を検討する中で候補のーつにあがっており、また、複数の出演者から上映差し止めを求める裁判になっている」という報告があり、それに対して、「主要な複数の出演者から上映差し止めを求める裁判になっている映画を映画祭で上映するのはどうか」と担当部署から主催者に伝えたものでございます。上映作品については、協定における役割分担に基づき主催者が決定したものでございます。

●質問(石川)

川崎しんゆり映画祭・上映中止問題について、市長に伺います。      【市長】

「主催者への圧力になったのでは」という質問に答えず

 表現の自由、検閲の禁止という点からもう一度伺います。「懸念を伝えること自体が、主催者に対する圧力につながる」という認識について質問しましたが、その答弁はありませんでした。主催者側は、市が懸念を伝えたことで「予算を握る市との関係悪化は、映画祭の存続にかかわる」という認識を持ったのです。市が懸念を伝えたことが、主催者への圧力になったのではないですか、伺います。

◎答弁(市長)

映画「主戦場」につきましては、主催者からの報告に対し、担当部署から市としての意見を伝えたもので、上映作品については、主催者が決定したものでございます。

●質問(石川)

川崎しんゆり映画祭・上映中止問題についてです。

市の対応は、表現の自由、検閲の禁止を侵害する

 表現の自由、検閲の禁止という点について、「懸念を伝えること自体が、主催者に対する圧力につながったのでは」という質問に対して、「主催者が決定をした」という答弁でした。市長は、最後まで、圧力をかけたことを認めず、あくまで主催者側の問題としました。しかし、問題の発端は、川崎市が懸念を伝えたことにあるのです。主催者側は、市が懸念を伝えたことで「予算を握る市との関係悪化は、映画祭の存続にかかわる」という認識を持ち、中止を決断したのです。市が懸念を伝えたことが、主催者への圧力になったのです。こういう市長の姿勢、市の対応は、表現の自由、検閲の禁止を侵害することにつながるものであり、許されないことを指摘しておきます。