むねた裕之
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南相馬市、浪江町を視察ーすさまじい津波と原発被害

福島県の被災地の視察、2日目は南相馬市、浪江町に入りました。南相馬市の渡部寛一市議に案内をしてもらい、「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」である南相馬市小高区、浪江町を回りました。

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15mを超える津波が軽トラックを襲う

渡辺市議が準備してくれた資料で紹介した津波が襲った場所に行き、当時の写真(上)と今の現場の写真(下)を見比べて、いかにすごい津波(15~16m)が来たのか実感しました。上の写真に軽トラック(赤丸)が逃げ遅れて津波に襲われているのが写っていますが、乗っていた方は奇跡的に助かったと聞き安心しました。

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(浪江町駅前)

浪江町―放射線の汚染状況が知らされずに避難

浪江町に入り原発まで6.5キロの地点、福島第一原発の煙突が見える地点まで近づきました。浪江町は、原発が水素爆発する前の12日早朝に避難指示が出されました。駅前の新聞配達店には、11日の震災の記事が載った新聞が配られないまま残っていました。住民は、どこに逃げたらいいのか指示がないまま、線量の高い北西方向に逃げた方も多くいました。この時点で国は、放射線量の汚染状況がわかるSpeedyの情報をつかんでいたにもかかわらず住民に知らせなかったため、住民は放射線量の高い地域に逃げてしまったのです。

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(小高地区から浪江町に行く途中)

南相馬市小高区―このままの状態では解除できない状況

南相馬市小高区(当時の人口13000人)は、「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」で、宿泊はできないものの、日中には帰宅準備をすることができます。しかし、渡辺市議は「小高の商店街で再開を予定しているのは44軒。小高区に週3日以上戻っているのは100世帯」といいます。国は今月中に避難指示を解除する予定。一方、南相馬市は、「除染の完了を確認の上」6月以降の解除を見込んでいます。しかし、宅地の除染が完了したといいますが、宅地の周囲20mまでで、農地、ため池、水道、側溝の除染は終わっていません。あちこちに放射性廃棄物の仮置き場があります。家屋は「5年もほっとけば家は荒れて壊すしかない」という状態です。原発関連の復興住宅も目標927戸に対して完成はゼロ。区民アンケートでも6割が「戻らない」と答えています。避難指示が解除されれば、仮設住宅などの無償提供や賠償が打ち切られる方向です。「このままの状態で解除させるわけにはいかない」と渡辺市議は言います。