むねた 裕之

宗田 ひろゆき
日本共産党川崎市議会議員

プロフィール


略歴

  • 1958年北海道厚真町生まれ。
  • 函館ラサール高校、東京工業大学、米ホープ大学を卒業。コンピューター会社でシステムエンジニアとして働く。
  • 党神奈川県政策副委員長などを歴任。
  • 2015年市議会選挙で初当選。
    市議会総務委員会(総務企画局、財政局、経済労働局、臨海部国際戦略本部等)委員。
  • 高津区末長在住。家族は妻と長女。

「人間が大切にされる政治」が信条
行動力・政策力 いちばん

世界を歩いたむねた裕之
アフリカ横断・放浪の旅で発見した
人のために役に立つ生き方

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私は、北海道で生まれ、雄大な自然のなかでのびのび育ちました。入学した高校は自由で自主性を尊重する学校で、私は、「自分の進む道はだれが決めるのか」という問いかけに、「自分の生きる道は自分で決めよう」と決心をしました。

知らない土地で自分を試したいと「アフリカに行く」と心に決めたのは大学に入学したころ。二年間のアフリカ八カ国の旅は、土地の人とともに寝起きする「自分探し」の旅でした。旅の途中、イスラエルの戦争をみたり、ヨーロッパに行ったり、世界各地を歩きながら、見聞を広げ、「自分を活かし、成長させ、人が喜ぶ仕事は何か」を考えました。

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アフリカの草原で、自分の将来を考えたとき、貧困のなかで幼い子たちが死んでゆく実態にふれ、「医者になろう」と決心。帰国後、コンピュータ会社で働きながら資金をため、アメリカの大学で生物学(遺伝子工学)を学びました。

会社勤務の頃、二百時間をこえる残業やノルマに追われる職場で、倒れた仲間のことを考えました。そして「自分の存在理由は人の役に立つことだ」と思い、政治家の道にすすむことを決意したのです。

私の思い

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私の政治家としての原点は二つです。一つは平和です。十八歳のときに、「蟹工船」の作家・小林多喜二を通して、あの侵略戦争に唯一反対した政党があったことを知りました。それが日本共産党でした。「どんな状況にあっても戦争反対を貫ける人になりたい」と思い、日本共産党に入りました。

二つは働く問題です。二十代、三十代のころにコンピュータのシステムエンジニアの仕事をしていて、二百時間をこえる残業をしながら、多くの仲間が体を壊して職場を離れていきました。「人間らしく働ける職場、社会をつくりたい。それには政治を変える必要がある」と、はじめて政治家となる決意をしました。

この二つの初心をつらぬき、私に川崎市政を変える仕事をさせてください。

むねた裕之のプロフィール

  • 北海道生まれ。函館ラサール高校、東京工業大学、米ホープ大学を卒業。世界20数ヵ国を訪ねる。コンピューター会社でシステムエンジニアとして働く。
  • 党県委員会青年学生部長のとき、若者の雇用アンケートに取り組み、ひどい実態を告発し、県に高校生向けの「労働パンフ」を作成・配布させています。
  • 街角で訴え、労働相談・生活相談を手がけ、高津区民の声を政策にして市政に届けるとがんばっています。

むねた裕之は、後期高齢者医療制度の即時廃止を求め、消費税の増税、憲法9条の改悪を許しません

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